2009年3月13日金曜日

memoma


 争い事の収拾に関与すると、何事につけMemoを残しておくことは重要だ、とつくづく思う。ささいな事でもMemoが残っていると、余計な詮索や捜し物、あるいはおぼろげな記憶をたどる空しい作業をしなくて済むからだ。

 Memoは、一度その恩恵にあずかると習慣になりやすいが、通常はなかなかそうはなりにくいものだ。普通のことはたいてい、後で必要かどうかが容易に想像がつくし、実際、その判断はあながち間違うこともない。しかし、何等かの紛争に巻き込まれると、ちょっとした記録が、全体の見方を大きく変えたりもして、その存在価値を思い知らされることも少なくはない。

 ほとんどが無駄なのだが、一度事が起こると重要になる事項は以外に多いのである。無駄になるということは、それだけ平穏であったと喜ぶとして、やはりMemoはこまめに取る癖をつけた方が良い。

 私の場合は、Zaurusのエディターでmemoma.txtに次々にメモを入力している。タイトル通り「メモ魔」に徹したファイルだ。手間と言えば手間だが、その手間の恩恵を一番受けているのは、自分自身である。



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