2009年3月30日月曜日

「継続は力なり」って理屈じゃない




継続力のすごさ(威力)は、継続した結果でしかわからない。
やってみて、実感して、初めてわかるのだ。
それは、ほとんどの場合、想像以上の効果なのだ。


そのことさえ実感としてわっかってしまえば
とてもできそうもないことも、
日々の小さなチップにして継続すれば、
たいてい実現できてしまうと、いう感覚で、
どんな事にもチャレンジする勇気も湧いてこようというものである。

2009年3月28日土曜日

節目




太郎も、香名子も、新しい環境で新年度を迎える。

節目、節目で生活を正していける者が、

目標を実現していくってことを忘れないで欲しい。


2009年3月27日金曜日

家族写真




Windows Live SkyDrive に家族写真を保存した。
太郎や香名子も、アップしてくれれば、データが共有できる。

ところで、
この前、家族全員が揃ったときに写真館で撮った家族写真は、
未だにできてこない。
やはり、あそこのおじさんは、暢気だ。

2009年3月26日木曜日

キムチスタミナ焼き(レシピ)




 Doblog時代に紹介したことがあるが、Doblogがあんな状態だから、改めて紹介しておく。以前の説明とは違っているかもしれないが、これがお父さんのキムチスタミナ焼きレシピの現行バージョンである。

 包丁も、まな板も使わずに、ごく短時間でできる至極の一品だ。基本は炒めたキムチに、玉子を落とすだけなのに、酒の肴にもなるし、丼にしても、美味い。ビールには特にあうと思う。材料は、買い置きできるものばかりなので、そう言う意味でも重宝する。いろんな意味で、香名子向きだと思う。太郎は、何故か一度も食する機会がなかったように思う。まぁ、騙されたと思って作って見るべし。


(材料)

①市販のキムチ(冷蔵庫で長くおいて酸味が出だしたものの方が美味い)

②玉子 1人前1個

③片栗粉 少々

④ゴマ油 少々

⑤水 少々

(手順)

1.フライパンを温め、ゴマ油でキムチを丹念に炒める。

2.ひたひた程度に水を足してしばらく煮る。
  この段階で、キムチの汁が残っていれば入れてしまう。

3.水に溶いた片栗粉でとろみをつける。

4.かき混ぜて全体にとろみがついた時点でフライパンの肌に直接、玉子を割り落とす。

5.白身が軽く固まりかけたら、黄身をつぶし、軽く混ぜる。
 (全体には、食べる段階で混ぜるべし)

(バリエーション)

※豚肉(細切れ)を先に炒めておいて、次に1.から作ると、ちょっと豪華版になる。 ただし、この場合は、包丁・まな板を使うことになるかもしれない。(蛇足ながら、個人的には、肉なしがお勧めである。)

※辛いのが苦手な人は、煮るときに水を多目にすると、その分、片栗でまろやかに仕上がる。

※焼いた鉄板に3.をジューと乗せ玉子を落とすと、いっそう美味いし、演出にもなる。

2009年3月25日水曜日

定石




 囲碁や将棋で、定石というのは、お互いが最善と考えられる手を行った場合の一連の手筋のことを言う。相手がどこに打ってくるかわからないゲームにおいて、どうして相手の手を想定していけるのか、という所が素人にはわかりにくいのだが、要は相手に最善に手を打たれた場合のこちらの最善の手はどこか、ということである。だから、相手がこっちの想定通り打ってこない場合は、相手のその手は最善の手ではないことを意味するわけで、こちらは、より有利に展開できると言うことでもある。

 相手が定石破り、奇襲戦法をかけてきた場合は、あわてることはない。慎重に受ければ間違いなく有利な展開に持ち込めると考えて良いわけだ。


 これは、交渉事やビジネスの駆け引きでも同じであって、定石通りの対応をしておれば、まず失敗する心配はない。これらの場合の定石とは、煎じ詰めて言えば「人の道」である。

2009年3月24日火曜日

実践あるのみ




すべては提案から始まる」を実践する。


いろんなところに、アイデアを提案していく。

利益や見返りは、当面、念頭におかない。

結果はついてくる(はず、だよ)。

2009年3月23日月曜日

おやじの迷言



気分ほど、危ういものはない。
あてにならないものはない。
  
気分屋が言うのだから間違いない。

トップでなくとも、こうでありたい



「2004年は優勝したけど、翌年はこのまま戦ったら最下位になる可能性があると思ったから、タイロン(ウッズ)を補強した。目の前の戦いを見ながら次の年のことを考える。

タイロンは先々も考えてそろそろ無理だろうと契約しなかった。
名前や数字を外から追っかける周囲と違って、毎日見ているからね。」


今年のチーム作りについての中日・落合監督の弁である。

こういう冷静さがないと、一軍の将たりえない。

2009年3月22日日曜日

少林寺拳法の真髄




お父さんが、太郎と香名子に少林寺拳法を勧めたのは
少林寺が究極において頼るのは自分だ、
だから鍛錬しておけ、という考え方をしているのと
あくまでも防御に徹しているからだ。

お母さんは、少林寺を習っているから安心と思っている。
暴漢に襲われても、少林寺が役に立つだろう、という安直な発想だと思う。

それが正しいのか、間違いなのかはわからないが、
お父さんからすれば、
変な男に絡まれるようなスキを見せないことこそ真の防御だ。

自分ではおしゃれであっても、
男にとっては単なるおしゃれではないことも多いのだ。
そこまで考えるのが、少林寺の精神だと思う。

2009年3月21日土曜日

計りきれないもの


現代が成績至上主義、数字主義、合理性優先、質より量・スピードの時代だからこそ、逆に自分は、物に限らず人についても、相手が自分にどう語りかけてくるか、自分をどう投影してくれるかに興味の重点がある。

大きな声になることは考えにくいが、市場でも、商品やサービスにそういう期待がふくらんでいるのを肌で感じる。




不幸の源泉




太郎も香名子も、お母さんの人の幸せを素直に喜んであげられるところを受け継いでいる。とても大事なことだし、得なことだと思う。

人は口ではなんと言っていても、どこかで妬んでいることが多いものだ。悲しいことだが、それが現実だ。だけど、そういう心の狭さは、相手にはもちろん、自分にも良いことではない。妬みはなにより自分を不幸にする。

・人の幸運を妬むこと。

・人の失敗を許さないこと。

・思い上がること。

・ひとつの価値観でしか物事を見られないこと。

・完全を求めること。

・物事に固執すること。

これらは、自分も、周りの人間も不幸にする災いの素である。

(残念ながら、自分の欠点を列挙した感じだ。)

2009年3月20日金曜日

自己管理のツール システム・ダイアリー


手帳の使い方は、人の数だけあるというのが、おとうさんの持論だ。 だから、自分のやり方を他人に押しつけるつもりは毛頭ない。 しかし、ここに書く手法は、たいていの人にとってベストの方法だと確信する。 そういう意味で、参考にしてもらいたい。

①マンスリー(月間カレンダー)

大まかな流れを俯瞰するためのツール。
月、週の単位で大きなTODOを管理し
アポや期限、あるいは、それに先行する準備状況を管理する。


②デイリー(プログラム・シート)

その日をベストに過ごすためのプログラムシート。
ここに書かれたプログラム通りその日を過ごしていれば
大きな流れの中で最高の1日になるようにできている。
それは、夢や目標に向けての重要なステップとしての1日である。

リフィルの具体的な構成は、
時間の決まったものを書き込むアポイントメントメント欄と
時間指定はないが、その日にこなしたい雑用を書き込むTODO欄で構成。

このTODOリストの特徴は、通常のTODOリストと違って
際限なく予定が増えることはない。
なぜなら、ページ左半分にアポイントメント欄があり、
その時間軸でその日の予定の混み具合が一目瞭然だから
無理な予定を組み込む余地がないのである。

もし、予定がぎっしり詰まった日に
新たなTODOを組み込む必要ができたら
既存の何かを別の日に移動してからでないとそうはできない。
それだけのことだ。

ベースになるプログラムのやり方については、項を改める。

2009年3月19日木曜日

日々、何を積み重ねるか


 グローバル化が叫ばれ終身雇用制が崩壊の兆しを見せだしたころから、個人のスキルアップやキャリアプランという単語を頻繁に目にするようになった。書店では、いかがわしい「成功本」と並んで、もっともらしい仕事術の著作が大きな顔をしだした。

 人生における重要なことは、それほど多くはない。
仕事も、私生活も、地域の活動も、目標と情熱を持って誠実に生きていれば、人並み以上に楽しめる。

 テクニックとか要領なんてものは、人それぞれの好みや相性があって、万人にむくものは、なさそうだ。
あってないに等しい。もっともらしく書いたり、講演したりする連中は、それを金にしているか、趣味にしているか、あるいは、とらわれて苦悩しているだけである。

 ただ、何事にも考え方の根本みたいなものはあって(実は、それさえもいろんな考えが存在し、相性があるが)、それはそれで応用が効いて役に立つ場合がある。何が根本で、何が派生したテクニックなのか、その区別すら便宜的で曖昧だが・・・。

 たとえば、お父さんが考え方の基本においているものに、「ポケットひとつの原則」というのがある。情報の受け皿として、ポケットをひとつにしておけば、必要な情報は必ずそこにあるのだから探す必要がなくなる、という考え方だ。メモを手当たり次第手近な物に書いていたのでは、必要なときに出てこない。複数のスケジュール表を持っていたら、ダブルブッキングの危険性は常について回る。これは、生活の中で誰もが実感していることだ。しかし、実際には、この原則をはずして苦労し、無為な時間を過ごしたり、失敗したりしている人はごまんと居る。

 この考え方を応用すれば、会社の窓口もひとつにした方が都合が良いことは容易に想像がつく。それから発展させれば、受け入れがたい交渉に臨むには、窓口を複数用意した方が相手を混乱させることができる。逆に、交渉は権限のある者とやるのが鉄則だということにつながる。これなど理屈として言えば、ビジネスマンなら誰もが「当たり前」とする事なのだが、実際にそれに徹している人は少ない。

 すごく曖昧な言い方にしかならないが、根本原理を押さえていれば、後は感性だ。現場でどう感じ、原理原則をどう活かすかというセンスだ。これは、読書や講座で学べるものではない。如何にピュアな精神状態で生活しているかと、何を積み重ねてきたかである。

 積み重ねは過去のことだが、どういう生き方をしているかは、常に、今の問題である。その今の積み重ねが、積み重ねの質を左右する。日々をピュアに生きていれば、太郎や香名子の人生に必要な積み重ねは自ずとできるものだ。これは、お父さんの蓄積から確信している。

認知リソースを解放せよ



 人間は一度に一つのことしかできない。何かに気を取られると、他のことは当然おろそかになる。気を取られることが多ければ多いほど、本来の作業効率は落ちる。そればかりか、ストレスがたまる。そのストレスは、作業効率をさらに低下させてしまう。


 認知リソースとは、誤解を恐れず言ってしまえば、脳のキャパシティである。気を取られることが多ければその分、本来の作業に割り当てるキャパが減る。だから、脳の効率を最大限に活かそうとすれば、認知リソースを解放しておかなければならない。


 認知リソースの解放は、気を取られる余計なことを無くすに尽きると言ってもよい。その手法として、やるべき事、気がかりな事を、じっくり時間かけて紙に書き出しつくすGTD(Getting Things DOne)が考案され、脚光を浴びた。Life Hacksという耳新しい言葉も認知され、市民権を得たようである。


 人によってはかなり有効であるようだが、私にはむかない。書き出したTODOの多さで余計にストレスが増えてしまう。消すよりも追加の方が多くてリストがどんどんふくらんでいく傾向がある。もう、見落としはないという確信がなかなか得れない。そのために、わざわざ時間を割いて、性格的に徹底できない作業をするよりも、やるべき事が発生したとき、その場で、やるべき時を決めてスケジュールに落とし込んでしまう方が、ずっと楽で安心感が得られる。効率も良い。

2009年3月18日水曜日

レシピ:ねぎ肉炒め



 この時期は長ネギが安く出回っている(家では、おじいさんとおばあさんの畑で食べきれないほどできている)ので、これを使って、超簡単で美味しい料理を伝授しよう。香名子は、今晩の食卓で召し上がれ。太郎も今まで何度か食べていると思う。

・長ネギを適当にぶつ切り(斜めに切れば、ちっとは料理らしくなる)。
・肉は好みで、牛でも豚でも、鶏でも良い。細切れで十分。
・油は、ゴマ油が一番美味いが、サラダ油だけでも、仕上げ(火を切る前に一かけ)だけゴマ油でも十分美味い。
 
①肉を塩こしょうして炒める。
②多少火が通ったら、ネギを入れて炒める。
③塩、こしょうで味を調えてできあがり。
 
 味付けは、「中華味」を使ってもいい。
ちょっと手間をかけるなら、にんにく、唐辛子と一緒に炒めてしょうゆ、みりんで味付けという手もある。鶏肉は、これが一番合うかもしれない。
などなど、いろんなバリエーションが楽しめる。いずれにしても、手間の割に美味であることに変わりない。要は、ネギの安い季節なら、いつでも手軽なお勧め料理だ。
 
 今晩は、牛肉に「中華味」で味付けし、仕上げにほんの少し「木村家秘伝のだし醤油」を使う予定だ。それは、お父さんの一番好みのバージョンだからと言うだけである。

軌道修正



人生において大切なのは、真実に近づくこと、設定した目標を達成することだ。しかし、それが簡単にできることは稀であり、最初からうまく行くことは少ない。だから、少しでも早く間違いに気づくことと、その間違いを率直に認めること、そして修正・改善して行くことが重要なのだ。

2009年3月17日火曜日

顧客優位のパラダイム


 インターネットの普及がもたらした影響は、良くも悪くも多岐に渡り、しかも、既存の社会構造や人間関係を根底から覆すものである。たとえば、マーケティングの世界で言えば、消費者がインターネットで企業や商品に関する情報を自由に入手できるにいたって、今まで企業が発信する情報に操作されてきた消費者が企業が提供する情報を盲目的に受け入れることがななくなった。第三者機関による評価の入手や消費者間の情報交換も含めて顧客が情報を自由に収集することが容易になったのである。しかも、商品情報に関しては、個別商品に関する専門性においてはメーカーでも顧客に太刀打ちできない状況である。

 情報において顧客が圧倒的に優位に立ったわけである。そのことをわきまえたマーケティングを展開できるかどうかが成功の大きなカギを握る。

●何をやってもマーケティングセンスが必要だ
 仕事は、金にしてなんぼ、である。商品であれ、サービスであれ、評価してそれにお金を出してもらえなければ、単なるお遊びである。その意味で、マーケティング的な思考は、どの分野に進んでも重要なスキルになる。

2009年3月16日月曜日

お父さんの実感




人は、簡単には変われない。
 

良いも悪いも続かない



何事も永遠ではない。

最悪の状況も永遠でない。

最高の状態も永遠ではない。


製品の差別化における気づき



製造における技術力は昔ほど大きい差があるわけでもないし、よほどの事がないかぎり半年もすれば追随される。したがって、仕様やスペックの優位性なんてものは維持しがたい時代なのだ。発売から数ケ月して他社の新製品投入でスペックが負けた瞬間に競争力がなくなるような製品作りではダメだ、と言うことである。

製品化に至る段階では、新しい仕様の投入にいたらないのには

(1)そのことに気づいていない場合と

(2)それを実現する技術力がない場合と

(3)コスト的に合わない場合がある。

技術は開発したが製品化できるコストにならないという段階も多いが、気づいてしまえば、開発は可能なのに、気づいていないというケースは、案外、多いものだ。
何事につけ、気づかないと何も始まらない。

2009年3月15日日曜日

初太郎 語録



お父さんのおじいちゃんは、数々の名言を残している。

おいおい解説も加えていきたいが、ひとまず、思い出したものを一例としてあげておく。

・売りに来たときは買え。買いに来たときは売れ。

・木は年がたてば育つ。

・喧嘩は勝ったらあかん。安心して寝られん。


2009年3月14日土曜日

その場で落とし込む



 目の前に現れたタスクは、その場で片付けるのが大原則である。それが、「すぐやる!」の第1の法則だ。しかし、実際には、関係者の動きを待ってからでないとできなかったり、最初からタイミングが指示されていたり、あるいは物や資料がそろっていなかったりで、その場では手をつけられない事もままある。着手しても片付かずロスが出る場合も考えられる。

 そんな時は、その場ではいつやるかを決めて、スケジュールにやるべき時を落とし込んでしまう。これが、「すぐやる!」の第2法則だ。そのために、どんな条件を整えなければならないかも考慮して、実行日時を決めて行くのである。

 さらに、その場では実行計画を組めないような大掛かりな課題の場合もある。プロジェクトと呼ばれるようなものが、その典型だ。そんなときは、その計画をいつたてるか、そのためにどこで時間をさくかを決めてスケジュールに落とし込むことになる。そのために誰を招集しなければならないか、必要な資料はなにか、それをいつ手配するかなど、関連するタスクにも「すぐやる!」法則を適用するのは言うまでもない。


2009年3月13日金曜日

大学は単なる環境だ




 多少は意識し期待はあったものの、お父さんがトイレに置いている本を香名子が読むようになってから、太郎や香名子に読ませる目的で本をチョイスするようになった。香名子は、どちらかと言えば、明らかに太郎に読ませたい本まで読んでしまって、どんどん視野を広めてしまった。その様子を見ていて、AO入試という切り口が、お父さんの中で芽生えた。相前後して一年間のベルギー留学が現実のものとなり、帰国と同時に受験真っ只中という状況が迫ってきたから、選択の余地もなくAO入試で受験に臨むことになった、というのがお父さんから見た大学受験の現実である。

 もちろん、ディベードの実績も考慮していたが、それよりは、香名子の性格や能力はもちろん、小学生の頃の散歩やそこでの親子の会話、それにトイレでの読書がディベードにつながり、才能が活きて行ったのだと思っている。AO入試は、それを最大限に活かした戦略だった。香名子は、その期待に見事に応えてくれたわけだ。

 三月末には広島に行ってしまうが、お父さんの経験から勧めたい本は、このブログで、どんどん取り上げて行こうと思う。ただ、従来の読書案内と違って、要約や推薦文は書かない。トイレに置いてある本を手にとって、タイトルや帯や端書きで興味をもって読んでくれたように、お勧めがある時は、ここに書名、著者、出版社だけをあげていくので、大学の図書館で手にとって判断してもらいたいと思う。アマゾンか楽天にもリンクを張っておくので、帯のかわりに活用してもらいたい。残念ながらトイレのように目の前の本を手に取れる環境は提供できないので、そこは自分で補ってもらいたい。

 大学は、どの大学でも、本人にその気と行動力さえあれば、なんでも学べる環境である。学生という特権階級は、時間というリソースにも事欠かない。学びに関しては、人生の中でこれ程恵まれた環境は二度と与えられないと思う。仮に研究室に残っても、そこでは学生時代ほどの自由は保証されない。学生時代はまさに、特権なのだ。

 香名子や太郎の大学は、全国でも有数の恵まれた環境を有すると思う。それを活かすかどうかで、とてつもなく大きな差ができる。合格の意義自体に差が生じる。苦労してせっかく手中に収めた特権も環境も、これからの本人の姿勢次第で無にもなることを肝に命じて日々の生活を送ってもらいたい。

memoma


 争い事の収拾に関与すると、何事につけMemoを残しておくことは重要だ、とつくづく思う。ささいな事でもMemoが残っていると、余計な詮索や捜し物、あるいはおぼろげな記憶をたどる空しい作業をしなくて済むからだ。

 Memoは、一度その恩恵にあずかると習慣になりやすいが、通常はなかなかそうはなりにくいものだ。普通のことはたいてい、後で必要かどうかが容易に想像がつくし、実際、その判断はあながち間違うこともない。しかし、何等かの紛争に巻き込まれると、ちょっとした記録が、全体の見方を大きく変えたりもして、その存在価値を思い知らされることも少なくはない。

 ほとんどが無駄なのだが、一度事が起こると重要になる事項は以外に多いのである。無駄になるということは、それだけ平穏であったと喜ぶとして、やはりMemoはこまめに取る癖をつけた方が良い。

 私の場合は、Zaurusのエディターでmemoma.txtに次々にメモを入力している。タイトル通り「メモ魔」に徹したファイルだ。手間と言えば手間だが、その手間の恩恵を一番受けているのは、自分自身である。



みんなを幸せ気分にする

お母さんのすごいところは、

楽しいことが大好きで、

周りの人を気分よくさせることだ。

自然にそれができることだ。

二人とも、これは絶対に見習ってほしい。

そういう存在であることを目指してほしい。







※ 蛇を見て口あんぐりの写真だけで、お母さんを評価してはいけないよ。

2009年3月12日木曜日

否定すると、 しんどい

 ワンマン電車でおばはんが傍若無人に携帯を使っていた。乗客みんなが気分を害しているのが手に取るようにわかった。そんなこと、おばはんは意に介さない。最後尾にすわって車内全体に響き渡らんばかりの声だった(少なくとも、真ん中よりかなり前寄りに座っていた私に話の内容がしっかり聞き取れた)。

 誰かが注意をするかどうかは別にして、自分の中でどう処理するかも問題だ。不満が鬱積して暴力沙汰に発展することもおおいにありうる。無視してiPodのボリュームを上げる方法もある。しかし、ボリュームを最大にしても、気になるときは気になる。音楽よりも、おばはんの話し声に神経がいく。

 おばはんを否定したり、おばはんの行いに批判的になるとしんどいのは、皮肉にも善人であるはずの自分の方だ。無視しようとするのではなく、困ったおばはんだなぁと肯定してしまうのがコツである。

 ところで、くだんのおばはんは、伊勢中川駅から乗って来て、津駅を降りても喋りっぱなし、東口、西口に別れるまでお付き合いさせてもらった。やはり、おばはんにはかなわない。

おやじ通信/おやじチップス

 太郎や香名子が家族と別々に暮らすようになると親の関与は良くも悪くもお金だけになりかねない。それではあまりに寂しいし、せっかく五〇年以上の人生で確認できている知恵を継承することも、二人の人生を効率的に有意義にする意味で大いに役に立つものと思うのだ。

 お母さんには、お母さんの知恵や確信があるだろうけど、それはお母さんに聞いてもらいたい。ここで述べるのは、あくまでお父さんの個人的価値観に基づく確信である。けれども実際には、お母さんの思いや考えとも大いに共通する部分があると思う。なぜなら、夫婦だからだ。ともに木村家の人間だからだ。

 そういう意味では、太郎と香名子も、同じく木村家の人間だから、好むと好まざるとにかかわらず、良くも悪くも。この家の呪縛からは簡単に逃れられるものではないだろう。しかし、木村家の家風や人間性は、なかなか捨てたものではない。これは、お父さんが、実感として断言する。それを否定するのではなく、誇りを持って、その上に自分の経験や価値観を蓄積してもらいたいと思う。個性を発揮し、新しい価値を加えてもらいたいと思う。