2009年3月13日金曜日

大学は単なる環境だ




 多少は意識し期待はあったものの、お父さんがトイレに置いている本を香名子が読むようになってから、太郎や香名子に読ませる目的で本をチョイスするようになった。香名子は、どちらかと言えば、明らかに太郎に読ませたい本まで読んでしまって、どんどん視野を広めてしまった。その様子を見ていて、AO入試という切り口が、お父さんの中で芽生えた。相前後して一年間のベルギー留学が現実のものとなり、帰国と同時に受験真っ只中という状況が迫ってきたから、選択の余地もなくAO入試で受験に臨むことになった、というのがお父さんから見た大学受験の現実である。

 もちろん、ディベードの実績も考慮していたが、それよりは、香名子の性格や能力はもちろん、小学生の頃の散歩やそこでの親子の会話、それにトイレでの読書がディベードにつながり、才能が活きて行ったのだと思っている。AO入試は、それを最大限に活かした戦略だった。香名子は、その期待に見事に応えてくれたわけだ。

 三月末には広島に行ってしまうが、お父さんの経験から勧めたい本は、このブログで、どんどん取り上げて行こうと思う。ただ、従来の読書案内と違って、要約や推薦文は書かない。トイレに置いてある本を手にとって、タイトルや帯や端書きで興味をもって読んでくれたように、お勧めがある時は、ここに書名、著者、出版社だけをあげていくので、大学の図書館で手にとって判断してもらいたいと思う。アマゾンか楽天にもリンクを張っておくので、帯のかわりに活用してもらいたい。残念ながらトイレのように目の前の本を手に取れる環境は提供できないので、そこは自分で補ってもらいたい。

 大学は、どの大学でも、本人にその気と行動力さえあれば、なんでも学べる環境である。学生という特権階級は、時間というリソースにも事欠かない。学びに関しては、人生の中でこれ程恵まれた環境は二度と与えられないと思う。仮に研究室に残っても、そこでは学生時代ほどの自由は保証されない。学生時代はまさに、特権なのだ。

 香名子や太郎の大学は、全国でも有数の恵まれた環境を有すると思う。それを活かすかどうかで、とてつもなく大きな差ができる。合格の意義自体に差が生じる。苦労してせっかく手中に収めた特権も環境も、これからの本人の姿勢次第で無にもなることを肝に命じて日々の生活を送ってもらいたい。

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