それぞれの家には文化がある。
よく「死んだらしまい」と言うが、そうではない。
いわば私たちは、
それぞれの家という駅伝チームのランナーである。
2010年2月24日水曜日
2009年3月12日木曜日
おやじ通信/おやじチップス
太郎や香名子が家族と別々に暮らすようになると親の関与は良くも悪くもお金だけになりかねない。それではあまりに寂しいし、せっかく五〇年以上の人生で確認できている知恵を継承することも、二人の人生を効率的に有意義にする意味で大いに役に立つものと思うのだ。
お母さんには、お母さんの知恵や確信があるだろうけど、それはお母さんに聞いてもらいたい。ここで述べるのは、あくまでお父さんの個人的価値観に基づく確信である。けれども実際には、お母さんの思いや考えとも大いに共通する部分があると思う。なぜなら、夫婦だからだ。ともに木村家の人間だからだ。
そういう意味では、太郎と香名子も、同じく木村家の人間だから、好むと好まざるとにかかわらず、良くも悪くも。この家の呪縛からは簡単に逃れられるものではないだろう。しかし、木村家の家風や人間性は、なかなか捨てたものではない。これは、お父さんが、実感として断言する。それを否定するのではなく、誇りを持って、その上に自分の経験や価値観を蓄積してもらいたいと思う。個性を発揮し、新しい価値を加えてもらいたいと思う。
お母さんには、お母さんの知恵や確信があるだろうけど、それはお母さんに聞いてもらいたい。ここで述べるのは、あくまでお父さんの個人的価値観に基づく確信である。けれども実際には、お母さんの思いや考えとも大いに共通する部分があると思う。なぜなら、夫婦だからだ。ともに木村家の人間だからだ。
そういう意味では、太郎と香名子も、同じく木村家の人間だから、好むと好まざるとにかかわらず、良くも悪くも。この家の呪縛からは簡単に逃れられるものではないだろう。しかし、木村家の家風や人間性は、なかなか捨てたものではない。これは、お父さんが、実感として断言する。それを否定するのではなく、誇りを持って、その上に自分の経験や価値観を蓄積してもらいたいと思う。個性を発揮し、新しい価値を加えてもらいたいと思う。
登録:
投稿 (Atom)